GLAYと私。
またブログでもやるか、と思ったときに1番書きたいなと浮かんだのがGLAYのことだった。
復職したら通勤時間という一人の時間が発生し、自然とまた音楽を聴くようになった。
奇しくもGLAYはREVIEW 2というベストアルバムをリリースしたばかりであったので、今更ながらその感想を綴りたい。
私がGLAYと出会ったのは、今から20年前の冬である。
当時、私の母は良くわからないところで厳しく、彼女の許可したものしかバラエティや歌番組は見ることができなかった。
許可されているものの一つが、
『The歌の大辞テン』。
他の歌番組とは違い、トークなどはなく、人気の曲をランキング形式で紹介する番組だった。
忘れもしない2000年の1月、私はそこで流れていたある曲に衝撃をうける。
それがGLAYの『HAPPINESS』だった。
こんなかっこいい人たちがいるのか!
何なんだこの曲は!!
翌日にはお小遣いを握りしめて、自転車を駅前のCDショップまで走らせた。
母には見つからないようにこっそりと。
とんでもないものを手に入れたような気がしたその日から、私の世界はGLAY一色になった。
嬉しいときも悲しいときも、好きな人が出来たときもその人との別れのときも、いつもいつもいつだってGLAYを聴いたし、悩んだときには『TAKUROさんはインタビューでこう言っていた』と道標にした。
初めてライブに行ったのは中学2年のときで(ちなみに母とは行く行かないでめちゃくちゃにモメた)、その感動といったらなかった。
響く歌声、空気を震わせる演奏、彼らが実在するということ、同じ空間にいること、私以外にもこんなにもたくさんのGLAYのファンがいるということ…全てが感無量だった。
私はそんなふうに、あまりにもGLAYに傾倒した、美しい青春時代を過ごした。(中二病とも言う)
それから10年経ち、15年経ち、
アラサーになった私は相変わらず、新曲が出れば欠かさず聴き、ライブにも足を運んでいた。
しかし、心のどこかで、あの頃の、青春時代のGLAYには二度と会えないということを嘆くようになっていた。
私が出会い、そして傾倒していった2000年初頭のころのGLAY。
私にとっては、当時の彼らはあまりにも美しすぎた。
一般的には、彼らのピークというか1番売れていたときというのはもっと前、1998年くらいだろう。
また本人たちからしても、2000年初頭のころは苦しく、もがいていた時期なのではないかなと思う。
そして私もファンとしては、今現在が1番充実していて、本人たちがとても楽しそうだというのも分かっていた。
しかし、私は思い出を美化することをやめられなかった、そう、これは単なる美化だとわかっていても、だ。
私は演奏面のことは分からないので、ボーカルのTERUさんの声とメインで作詞をするTAKUROさんの歌詞に対して、その気持ちが大きかった。
もうあの頃の、繊細で今にも壊れそうな、儚い声も、歌詞も、もう聴くことは出来ないのだと。
前置きが長くなったが、そんな中で冒頭に触れたベストアルバム『REVIEW 2』がリリースされた。
メンバーチョイスだという収録曲を見た時点で、私の心は楽しみと不安の間でグラグラと揺れた。
Runaway,Runaway、ゆるぎないものたち、Hello,my life、逢いたい気持ち。
あの頃の私が、いや今でも、何度も何度も聴いた曲たちが並んでいたからだ。
メンバーさんがあのころの曲たちを忘れていなかったという嬉しさ。またライブで聴けるかもしれないという期待。
同時に、もうあのころのTERUさんとは、声も表現の仕方も違うのだ、聴きたくないとすら思った。
(ちなみに念の為書いておくと、TERUさんの声は年々パワフルで伸びやかになり、彼がGLAYを続けるためにストイックに活動してきたのであろうことは言うまでもないし、バンドが長く続けばそれは表現したいことも伝えたいことも変わっていくのは当然だ。すべて懐古したいだけの私のエゴである)
特に、『逢いたい気持ち』という曲に対してはマイナスの感情が顕著だった。
私はこの曲が、音源化されているテイクが大好きで、全てにおいて完璧で、あまりにも感情が込められすぎていて、それ故に気軽に聴くことさえ憚られた。
美しい情景の中で、静かな気持ちで聴きたい、そんな曲だったのだ。
(ちなみにPVも本当に本当に美しかった…それはそれは少し怖いくらいだった)
そんな曲が、しかも再録だというから、
私の心は穏やかではなかったというわけだ。
所謂サブスク、でスマートフォンにダウンロードした、彼らの音楽。
中学生のころ、新曲の初公開といえばメンバーラジオで、MDに録音して発売まで何度も何度も聴いたな、などとここでもどうでも良い感傷に浸りながら
私はなるべく軽い気持ちでさりげなく、電車の中で、再生ボタンをタップした。
そしてすぐに後悔した。
涙が止まらなかったのだ。
そこにあったのは、あの頃の美しさを纏ったままの、キラキラと眩い曲たち。
TERUさんの声はやはり当時よりもパワフルで、しかしそれが却って、
それで良いよ
とすべてを包み込んでくれているように感じられたのだ。
GLAYは、どんなファンも置き去りにするようなことは決してしなかった。
そして、
ああ、だからデビューから25年間経っても尚、彼らは愛されているのだと
改めて理解したのであった。
私は今年で31歳になった。
あの、美しい旋律と歌声に衝撃を受けた日から20年が経ち、私の全てだったGLAYは、今確実に私の大切な一部となった。
これからも、私は彼らに憧れ、尊敬し、でもどこか寂しさも抱えて、彼らの音楽を聴きライブに足を運ぶだろう。
いつまでも色褪せない青春時代の煌きと、明日を生き抜く糧を得るために。