nozomimaniaの日記

ドンマイ系アラサーの日常。

母親は偉大、という言葉

息子を出産してすぐのころ、母や祖母に

『母親って偉大でしょ』

『お母さんに感謝しなさい』

と言われたのだが、正直あまりピンと来なかった。

 

息子を出産して2年が経ったが、やっぱり未だにピンときていない。

 

それはおそらく、私が全く偉大じゃないからだ、と思う。

 

母親として最低限のことはやっている…多分。

食事はそれなりにちゃんと作っているし、

絵本を読んだり歌を歌ったり、

規則正しい生活を心がけているし、

息子は元気に育っている。

でも、その反面で

食事が手抜きのこともたくさんあるし、

遊んで遊んで、と言われても『ちょっと待ってね』で待たせることもよくあるし、

寝るのが遅い日もあるし、

最近全然歯医者に連れて行っていないなど、出来ていないことをあげたらキリがない。 

 

それでも、母親というのはいるだけで、命がけで子供を産んだだけで偉大だという見方もあるのだろう。私の母や祖母もそういう意図で言ったのだと思う。(まあ彼女らの性格からして本気で自分たちは偉大!感謝セヨ……と思っている可能性もかなりあるけれど…)

 

でも私はそうは思わない。

子供が欲しいと思って、そして産んだのは私だから。

出産が命がけだろうと、子育てがどんなに大変だろうと、そうすると決めたのは他でもない私で、そうである以上、やらなければならないことはやるのが当然だ。

なぜそれを偉大だなんて思えるだろうか。

 

あ、別に自分を追い詰めているつもりは全くないので、私は頑張りが足りない…!もっとちゃんとやって偉大な母にならないと…!とも思っていないので心配はいらない。

我ながらそれなりに頑張っていると自負している。

 

でも、私は結局のところ私だ。

子供を産んでから、もちろんめちゃくちゃ息子はまじで信じられないほど可愛くて超絶ウルトラキュートではあるが、

私自身が出産によって何か変わったかと言えば、そうでもないと思う。

友達と遊びたいし、ライブに行きたいし、自分の欲しいものは我慢出来ないし、一人で遠くに行きたくなる日もある。

基本的な私の構成要素は、下手すりゃ10代のころからあまり変わっていないのだ。

 

 

でもまあ、それで良いかなと思う。

要は偉大じゃなくても母親はやれるのだ、偉大なことに越したことはないかもしれないけれど。

 

とはいえ、友達が出産したら私も、

あれこれ制約のある妊娠期間を乗り越えて、陣痛を乗り越えて、お疲れ様ー!超偉大なんですけどー!!

って思うんだけどね。