nozomimaniaの日記

ドンマイ系アラサーの日常。

超高齢化社会が生んだ悩み

突然だが、私は姉と二人姉妹である。

また、母一人っ子であり、母方の祖父は長男である。

 

この、一見どうでも良い事実が

私達姉妹に小さな、しかし確かな懸念を生んでいる…

 

それは、

将来、墓どうする?問題、である…!

 

母方の墓、仮にI家の墓とする。

I家の墓はかなり年季が入っており、自分の祖父母以外に誰なのかよくわからんが、とにかく骨壷がギチギチに詰められている状態だ。

現在はお盆の際や祖父の命日などに母が墓参りをし、それなりに手入れ等などしているようだ。

私の父は次男なので、本来であれば私の両親も新しく墓を建てるものなのだろうが、二人にその気はなく、そのままI家の墓に入るつもり、らしい。(骨壷が入り切るかどうかはちょっと置いておいて)

 

私も姉も既に実家を出て結婚しているので、I家はもう滅亡まっしぐら、墓を継ぐ人はいない。(そもそも父も婿養子に入ってないし)

別にそこに特段の思い入れはなく、私の両親も婿養子をもらえと言うわけでもないので、

 

まあ、両親が死んだら墓じまいしよっと 

 

くらいに思っていた。

 

そんな折!

このコロナ騒動真っ只中の、今年の春。

母方の祖母が死んだ。91歳だったので、完全に大往生!悲しいというよりはお疲れ様、の気持ちが強かった。

そして少し前に、ごく親しい親戚のみで集まり納骨をした。

久しぶりに訪れるお寺、謎にめちゃくちゃ良い位置に陣取っているI家の墓。(別にすごい檀家とかではないので偶然だと思われる)

ギチギチの骨壷を見ながら手を合わせる、確かにおじいちゃんもおばあちゃんもここにいるんだな、と思った。

 

少し話が逸れるが、祖父母がかつて暮らしていた家はもうない。

祖父が10年前に死んでから5年くらいは祖母が一人で住んでいたが、段々と弱っていくのを見て母が自分たちの家に呼び、更に弱ってしまったところで病院と施設と行ったり来たり…という感じだった。

そして祖母が寝たきりになるかならないかくらいのときに大きな台風があり、祖父母の家は浸水被害にあってしまったのだ。

誰も住んでいなかったのは不幸中の幸いだったが、家の中は泥だらけになり、家財道具などはほぼ全て処分してしまった。

家屋自体はまだなんとなく残してあるが、人が住める状態ではないしそのうち取り壊す以外の選択肢はないだろう。

 

それで、墓じまいもしてしまったら。

私が祖父母と過ごした思い出は何もなくなってしまうというか、同居していたことがあるわけではないので帰る場所がなくなるとは少し違うのだが、こう、

あ、この場所にもう来ることはなくなるのだな…と、少し寂しい気持ちになってしまった。

じいちゃんと一緒に行ったお祭り…

じいちゃんがフィルムケースに500円玉たくさん貯めておいてくれて、それをとりせん(近所のスーパー)のゲームコーナーで使ったな…

じいちゃん、私達のためにお米乾燥させておこし作ってくれたな…

 

 

そして

ばあちゃんは私達に隠れて一人で桃食ってたな……

 

そう思うと、急いで墓じまいしなくても良いかな、とちょっと思った。

私の両親が、長生きしたとしてあと30年弱…そのあと私が少し手入れなんかして、気が済んだ墓じまいすれば良いじゃないか。

 

そうすると40年後とか?

え、待って私71歳…?!

下手したらもうすぐ死ぬ、いや下手したらもう死んでる死んでる。

 

ボケボケしてるうちに自分が死ぬ、それだけは絶対にだめだ。

そうすると私の息子が管理するはめになる、会ったこともねえようなじじいばばあがギチギチ入った墓にいちいち足を運ばせるなんて、未来の息子の奥さんに申し訳なさすぎて私死んでも死にきれない!

 

そうかこうしてみんな墓じまいに悩んでいるわけだな。

 

私には幸い姉がいるので、姉と話し合って決めて行けば良いのだけど。

 

でも、やっぱり感傷に浸らず!

さっさと閉じよう!墓!!

これぞまさに悪魔の実。

アイスの実、というアイスをご存知だろうか。

食べたことがない方は今すぐコンビニで購入することをおすすめする。

いや羨ましいっ…!

あの悪魔のような美味しさに初めて出会うという感動を、これから味わうことが出来るなんて、なんと羨ましい!!

 

アイスの実は、江崎グリコが販売するアイスである。

このアイス、私が子供のころからずっと存在している。 

食べたことはないor何年も食べていないけれど、名前は知っている

という方も多いのではないだろうか。

それもそのはず、実は今年で発売35周年のロングセラー商品だそうだ。

 

ただ、どこのコンビニでも大体買えるほどのビッグ商品になったのはここ5年ほどのことではないだろうか。

私が子供のころのアイスの実は、時々お母さんがスーパーで買ってくるという位置づけだったと記憶している。パッケージも箱だった。

 

『コンビニアイス』戦線で勝ち抜くことが、どれほど大変だろうか。

アイスは、お菓子コーナーと比べて圧倒的にその面積は狭く、あの小さな冷凍ケースの中にしか陳列出来ない。

しかも、『コンビニアイス』には絶対に置かなければならないかの如く、どこでもほぼ100%並んでいる王者たちが存在する。

各コンビニのオリジナルのソフトクリーム

チョコモナカジャンボ

ジャイアントコーン

ガリガリくん

である。

狭い売り場、その中で4フェイスはもう指定席とあっては、新しく売り場を獲得することがどれほど大変かは想像に難くない。

 

しかし、アイスの実はそれをやってのけた。

なぜ可能だったのか。

そう…

リニューアルしたのである!!

 

かつてのアイスの実は、とちらかと言えば優しい味というか、チューペットのような、ジュースをアイスにしたような味だった。

 

現在のアイスの実ときたら、それとはもう全くの別物。

もう、それはもう美味しいのだ。

 

まず果汁感がとんでもない。

もはや果物そのもののような風味。

しかし、じゃあ果物食べれば良いのでは?とはならない。

その独特の食感、表面をパキュッとかじると中身はとろり、じゅわり。

それはさしずめ、ジェラートのようであり、シャーベットのようであり、そしてまた果物のようであり…すべてのいいとこ取り、のような食感と言える。

 

フレーバーは、みんな大好きぶどう味がまずは間違いないのだが

今であれば夏季限定の梨をおすすめしたい。

もうこれは、梨。高級な梨。

いや下手をすれば梨以上。

しかもそれを、本格的な梨のシーズンを待たずして食べられる。

 

そして果物が苦手な方も…!

ご安心ください……!!

 

あるっ…

抹茶味(春夏限定)やカフェオレ味(秋冬限定)っ………!!!

 

みなさんも…!!

見かけたら是非ッッ……!!

 

本当に美味しいのでね!

中村倫也さんの魅力について

私は2年前の春、人生で初めて、特定の俳優さんのファンになった。

 

『誰なのこれ!!信じられないほどかっこいい!!!』

 

コックコートに身を包んだ彼を目で追いつつ、私は急いでスマフォで彼の名前を検索した。

 

彼の名前はそう、

中村倫也

である。

 

ドラマのタイトルは『崖っぷちホテル』。

一話完結、基本コメディ、みんなで力をあわせて苦難を乗り越えるお仕事ものという、私の好きな要素たっぷりの作品だった。

中村倫也さんは競艇が趣味、厨房でタバコを蒸す、あまりやる気がないシェフ

そんな役どころだった。

 

かっこよすぎる…この人絶対に人気出る!

そういう確信を持った。

 

 

そして、そのすぐ後、

言わずと知れた『半分青い』に出演した中村倫也さんは大ブレイクを果たした。

(『崖っぷちホテル』よりも前の、『ホリデイラブ』に出演した時点でかなり話題になっていたそうなので、別に私に先見の明があったとかそういうことでは全くないのだけれど。)

 

小学生の時から基本的に憧れる人はバンドマンばかりだった私が、今を時めくイケメン俳優を好きになる日がくるなんて思いもしなかった。

だがそれほどに、中村倫也さんは魅力的な俳優さんなのだ。

 

まず彼の魅力は、当然ではあるがなんと言ってもその演技力だろう。

技術的なことは分からないのだが、おそらくはその演技力ゆえに、彼の出演するドラマを見ているといつの間にか出演者のことを役名で呼んでしまうのだ。

 

基本的に彼のルックスが好きという非常に邪な気持ちから入っている私は、ドラマスタート時は

『倫也かっこいい〜〜!』

が主な感想なのだが、段々と

『ゴンかっこいい〜〜!』

に変わっていく。

(『ゴン』というのは『凪のお暇』というドラマで中村倫也さんが演じた役名なのだが、これが、もう、またとんでもなく素敵だった…)

中村倫也さんを観ているつもりが、いつの間にか自然と、ゴンを観ているのだ。

さらにすごいのは、そう中村倫也さん目当てで見始めたはすが、彼を見ていると結果どんどんドラマにのめり込んでしまうということだ。

 

中村倫也さんかっこいい

ゴンかっこいい!私の隣家にも引っ越してきて!!

ゴンを取り巻く人も気になってくる

凪がんばれ!慎二がんばれ!!

 

こんな具合に…

私は『凪のお暇』観ていて最終的に、黒木華さんと高橋一生さんのことも大好きになってしまったし、今現在放送中の『名探偵明智五郎』でも小池栄子さんと小芝風花さんのことが大好きになってしまったのだ。

 

それは、中村倫也さんがあまりにも、ゴンだし明智五郎だから、に他ならない。(もちろん出演者のみなさんが素晴らしいということが大前提だけれど)

 

役者は1000の仮面を持っている、色んな人生を歩める、とはかの名作『ガラスの仮面』のセリフであるが、本当にそうなのだなと心から感心してしまう。

役によって、表情や声、話し方、顔そのものさえ別人のようなのだから。

 

そして次に声だ。

男性で『美声』と言われる人って、どちらかと言えば低音ボイスの方かなと思うのだが

中村倫也さんはむしろ声は高め。

だが、その甘くなめらかな声の、心地よさと言ったら…!

実写版『アラジン』での吹き替えでは、デロデロに甘いアラジン役の俳優さんに彼のデロデロに甘い声がぴったりで、

私は人生で初めてアブー(←アラジンの相方の猿)になりたいと思った…

『来いアブー!』

って言われたい。

 

 『名探偵明智五郎』では甘いだけではなく、緊迫感溢れるシリアスなシーンも多いのだが、難しそうな長ゼリフも、こちらの耳にスッと入ってくる。

私はあまり耳が良くなく、また集中が散漫なので下手をするとセリフがうまく聞き取れないことがあるのだが、中村倫也さんはそういうことはない。

声の質だけでなく、滑舌も素晴らしいのだと思う。

 

演技力、美しい声、そして言うまでもないあのルックス。

兼ね備えすぎである、

50TAもびっくりの兼ね備えてる男子である…

 

 

私は冒頭にも書いたが俳優さんのファンであったことがないので、好きだ応援したいと思ってもどうすれば良いのかまだまだ模索の日々だ。(チェキもないしグッズもないけどどうやって応援すれば良いの?!という飼い慣らされたバンギャルの思考なので)

また友人たちと最近好きな俳優さんについて話している瞬間の、あの、今までにないババア感には戸惑うばかりだが

せっかくこんなに素敵な俳優さんを好きになったのだから、

彼の作品を楽しみに、これからも過ごして行きたいと思う。

GLAYと私。

またブログでもやるか、と思ったときに1番書きたいなと浮かんだのがGLAYのことだった。

 

復職したら通勤時間という一人の時間が発生し、自然とまた音楽を聴くようになった。

奇しくもGLAYはREVIEW 2というベストアルバムをリリースしたばかりであったので、今更ながらその感想を綴りたい。

 

私がGLAYと出会ったのは、今から20年前の冬である。

当時、私の母は良くわからないところで厳しく、彼女の許可したものしかバラエティや歌番組は見ることができなかった。

許可されているものの一つが、

『The歌の大辞テン』。

他の歌番組とは違い、トークなどはなく、人気の曲をランキング形式で紹介する番組だった。

忘れもしない2000年の1月、私はそこで流れていたある曲に衝撃をうける。

それがGLAYの『HAPPINESS』だった。

 

こんなかっこいい人たちがいるのか!

何なんだこの曲は!!

 

翌日にはお小遣いを握りしめて、自転車を駅前のCDショップまで走らせた。

母には見つからないようにこっそりと。

 

とんでもないものを手に入れたような気がしたその日から、私の世界はGLAY一色になった。

嬉しいときも悲しいときも、好きな人が出来たときもその人との別れのときも、いつもいつもいつだってGLAYを聴いたし、悩んだときには『TAKUROさんはインタビューでこう言っていた』と道標にした。

初めてライブに行ったのは中学2年のときで(ちなみに母とは行く行かないでめちゃくちゃにモメた)、その感動といったらなかった。

響く歌声、空気を震わせる演奏、彼らが実在するということ、同じ空間にいること、私以外にもこんなにもたくさんのGLAYのファンがいるということ…全てが感無量だった。

 

私はそんなふうに、あまりにもGLAYに傾倒した、美しい青春時代を過ごした。(中二病とも言う)

 

それから10年経ち、15年経ち、

アラサーになった私は相変わらず、新曲が出れば欠かさず聴き、ライブにも足を運んでいた。

しかし、心のどこかで、あの頃の、青春時代のGLAYには二度と会えないということを嘆くようになっていた。

私が出会い、そして傾倒していった2000年初頭のころのGLAY

私にとっては、当時の彼らはあまりにも美しすぎた。

 

一般的には、彼らのピークというか1番売れていたときというのはもっと前、1998年くらいだろう。

また本人たちからしても、2000年初頭のころは苦しく、もがいていた時期なのではないかなと思う。

そして私もファンとしては、今現在が1番充実していて、本人たちがとても楽しそうだというのも分かっていた。

 

しかし、私は思い出を美化することをやめられなかった、そう、これは単なる美化だとわかっていても、だ。

私は演奏面のことは分からないので、ボーカルのTERUさんの声とメインで作詞をするTAKUROさんの歌詞に対して、その気持ちが大きかった。

もうあの頃の、繊細で今にも壊れそうな、儚い声も、歌詞も、もう聴くことは出来ないのだと。

 

前置きが長くなったが、そんな中で冒頭に触れたベストアルバム『REVIEW 2』がリリースされた。

メンバーチョイスだという収録曲を見た時点で、私の心は楽しみと不安の間でグラグラと揺れた。

Runaway,Runaway、ゆるぎないものたち、Hello,my life、逢いたい気持ち。

あの頃の私が、いや今でも、何度も何度も聴いた曲たちが並んでいたからだ。

メンバーさんがあのころの曲たちを忘れていなかったという嬉しさ。またライブで聴けるかもしれないという期待。

同時に、もうあのころのTERUさんとは、声も表現の仕方も違うのだ、聴きたくないとすら思った。

 

(ちなみに念の為書いておくと、TERUさんの声は年々パワフルで伸びやかになり、彼がGLAYを続けるためにストイックに活動してきたのであろうことは言うまでもないし、バンドが長く続けばそれは表現したいことも伝えたいことも変わっていくのは当然だ。すべて懐古したいだけの私のエゴである)

 

特に、『逢いたい気持ち』という曲に対してはマイナスの感情が顕著だった。

私はこの曲が、音源化されているテイクが大好きで、全てにおいて完璧で、あまりにも感情が込められすぎていて、それ故に気軽に聴くことさえ憚られた。

美しい情景の中で、静かな気持ちで聴きたい、そんな曲だったのだ。

(ちなみにPVも本当に本当に美しかった…それはそれは少し怖いくらいだった)

 

そんな曲が、しかも再録だというから、

私の心は穏やかではなかったというわけだ。

 

所謂サブスク、でスマートフォンにダウンロードした、彼らの音楽。

中学生のころ、新曲の初公開といえばメンバーラジオで、MDに録音して発売まで何度も何度も聴いたな、などとここでもどうでも良い感傷に浸りながら

私はなるべく軽い気持ちでさりげなく、電車の中で、再生ボタンをタップした。

 

そしてすぐに後悔した。

涙が止まらなかったのだ。

 

そこにあったのは、あの頃の美しさを纏ったままの、キラキラと眩い曲たち。

TERUさんの声はやはり当時よりもパワフルで、しかしそれが却って、

それで良いよ

とすべてを包み込んでくれているように感じられたのだ。

GLAYは、どんなファンも置き去りにするようなことは決してしなかった。

そして、

ああ、だからデビューから25年間経っても尚、彼らは愛されているのだと

改めて理解したのであった。

 

私は今年で31歳になった。

あの、美しい旋律と歌声に衝撃を受けた日から20年が経ち、私の全てだったGLAYは、今確実に私の大切な一部となった。

これからも、私は彼らに憧れ、尊敬し、でもどこか寂しさも抱えて、彼らの音楽を聴きライブに足を運ぶだろう。

いつまでも色褪せない青春時代の煌きと、明日を生き抜く糧を得るために。

書きたいことは山ほど

一年半ぶりにブログを書く気になったので再始動!

新しく始めようかなとも思ったのだけど、ここに書いた記事が結構残しておいても良いかなという内容だったので改めて…  

 

育休があけて少し経ち、若干心に余裕が出てきたからだろうか。

私の心の中には、なんとも言えないあの気持ちがムクムクと湧き出てきているのだ。

それは、所謂自己顕示欲、自己承認欲求というやつ。

育休中、息子と過ごす毎日には不思議と感じられなかったものだ。

 

それはきっと、息子は私のことが無条件に必要で、無条件に愛してくれているからだと思う。

そんな彼と毎日一緒にいた期間は、私は必要!私は大切!と自分のことを自然に認めることが出来たのだ。

 

しかし職場は違う…

ブランクがあり、復帰したてでまあそもそも大して仕事も出来ない私などそんなに必要だはないのだ。

私はこんなはずじゃない!

もっと必要として!

もっと出来ることがある!

まだ何者かになれる!

と、そこまでの気持ちはないにせよ、ここ数日文章にしたいことがたくさんあってたくさんあって、ツイッターだけでは物足りなくなってしまった。

ブログを書いたところで、私が何者かになれるわけでも誰かに何かを認めてもらえるわけでもないのだけど。

 

 

単純に言うと、バタバタした日々の中で脳内がとっちらかっているので少しブログにあれこれ書こうかなって感じ、まあまた続かないとは思うけれど、ちまちまやっていこうかな。

 

 

 

嘔吐恐怖症と胃腸炎と、私と夫と。

新年早々汚い話なんだけど、最終的に嬉しかったので備忘録として。

 

私は嘔吐恐怖症だ。

いつからかとか原因とかは良いとして、生活には支障を来さないけれど嘔吐という文字を見るとソワソワする程度の。(今はあまり見ないように入力している)

 

 

小4のころにはすでに症状があり、吐いてしまった人を介抱するどころか、その場にいることも出来ずトイレに逃げる自分は

なんて薄情で嫌な人間なんだろうとずっと悩んでいた。でもどうしても無理だった。

 

それが社会人になってからふとネットで嘔吐恐怖症について知り、ああ自分はこれなんだ、よくある恐怖症の一つなんだと知り結構ホッとした。

でもだからと言って恐怖症が軽くなるわけでもないし、はたまた

『私、嘔吐恐怖症なんだよね』

と周りに言っても、

『いやみんな嫌だよ』

と返されることも多かった、し、私もそれは本当にそう思う。みんな嫌だよね。笑

 

前置きが長くなった。

そんなわけで、私は嘔吐に怯えつつ、でも友人は理解を示してくれたりなんだり、社会人になると圧倒的にゲロに遭遇することがへるので克服の必要性も下がり、そのまま放置を決め込んでいた。

 

そんな時に出会ったのが夫だった。

程なくして、この人とは結婚するかもなと予感がしてきたころ、嘔吐恐怖症を打ち明けた。リアクションは、

『へー、そういうのがあるんだ。俺は高所恐怖症だよ』

だけだった。

この人絶対わかってない!

だって私、吐いて苦しんでる人がいても助けられないクソ野郎なんだよ?!

と思った。

 

先月、予防接種のために息子を病院に連れて行った。病院は同じように予防接種に来た子供たちで割と混雑していたのだけど、その中の一人の女の子が吐いてしまった。(ちなみに本人はケロっとしていた。良かったね)

私は動悸がしたが、さすがにここで席を立つのは人としてヤバいと思い、違うことに意識を向けて時が過ぎるのを待ったが

冷や汗、目眩を感じ、結局電話をするふりをして待合室を離れてしまった。

自分の中ではかなりショックで落ち込んだ。

なんて駄目な人間なんだ、と。

事の顛末を帰宅した夫に告げると、

『恐怖症なんだから仕方ないじゃん。俺も高いところからすぐ逃げるよ』

だけだった。

でも、この時はすごく救われた。ああ、この人は分かってくれているんだなと思った。

 

 

そしてつい先日、息子が胃腸炎になり、あっという間に私も感染した。(息子が吐いたときは、まあ、まあ、取り乱しはしたがさすがに逃げ出すことはなくて片付けることも出来た。心臓はめっちゃバクバクしてたけど)

私は普段少しでも気分が悪くなったらすぐに吐き気どめを飲むので、なんと20年近くぶりの嘔吐だったのだが、まあ、吐いちゃえばこんなもん、思ったより大丈夫だったよと夫に告げると、

『そう?良かったね。じゃ俺も今度から家で吐こうかな〜笑』

と言われた。

どういうことか聞くと、夫は私のために具合が悪いときは外のトイレで吐いてから帰ってきていたらしい。

そんな風に気を遣ってくれていたなんて知らなかった。

外のトイレを管理している人たちからすればたまったもんじゃないかもしれないが、私はすごく嬉しかった。

 

夫はアホだし太っているし最近ハゲてきたし、朝とか本当地獄のような顔をしているけれど、私の一番弱い部分や駄目な部分を見ても絶対に否定したり、また諭したりもせず、ただ受け入れてくれる、そういう優しさがあるなと思った。本人には言わないけれど。

 

 

さて胃腸炎自体はすぐに治まり、今やっと3人での、初めての正月を満喫中だ。(おかゆしか食べてないけど)

ただ、私はまだ、息子が吐いてしまったらどうしよう?具合がまだ本当は悪かったら…?とハラハラしているけれど。

でもそれもきっと段々慣れて行く、その先には嘔吐恐怖症克服がある、と願って

頑張ります。ね。

愚問&愚問

今朝、スッキリ!でこんな特集があった。

『専業主婦であることに罪悪感を感じるかどうか』

 

別に罪悪感を感じる必要はないし、罪悪感を感じるのであれば働けば良いだけだと思うのだけど。

引っかかったのは、特集の中で出てきた、

『専業主婦の仕事は月収に換算すると100万円相当。』

みたいな文言。

誰か偉い人が、然るべき計算方法で、正しく算出した数字なのかもしれないが

 

 

なあ、月収100万円ってことは年収1000万円を優に超えるってことだよな…??

ちょっと待ってくれ。

私の昨年の年収は500万円弱だったと思うのだが

倍以上ってこと??

いや、まあ私は薄給な上に仕事が出来ないし、手も抜きまくりだからちょっと比べるのはアレとして。

夫は仕事熱心で、朝早くから夜遅くまで、それこそ身を粉にして働いている。年収1000万円というのは、その夫の1.5倍以上だ。

また私の身近で一番収入があるであろう女性は年収1000万円前後ではないかと思うが、彼女は自分の時間を犠牲にしてストイックに仕事に打ち込んでいる。それと同等…??

 

別に専業主婦がそうではないとは思わない。

確かに朝から晩まで、自分の時間を犠牲にして働いていると思う。しかも無休&無給。

私も育休中の身なので、専業主婦の大変さは少しは分かる。

 

でも正直、年収1000万円の働きを自分がしているとは到底思わない。ぶっちゃけ200万円がいいとこじゃない?

いや私は子供が一人しかいない上にまだ乳児だから…私は仕事が嫌いだから、仕事に比べて苦痛に感じないだけ…そもそも家事めちゃくちゃ適当だし…

とかいろいろ考えるものの。

 

いや〜、やっぱり1000万円はね言い過ぎじゃないっすかね。

 

ていうか言ってないんだよね、専業主婦の人たちはそんなこと。良く分かんねえけど女性支持を得たいコラムニストとか政治家あたりがそういうチンプンカンプンなこと言ってるんだよね。

なのに、掲示板とかではすぐ

『女さん「専業主婦の仕事は年収にすると1000万円!」』

みたいなスレが立つわけで。

思ってない!思ってないよ〜そんなこと!!

 

だってあんた、年収1000万円って、ねえ。笑

 

でもま、こればっかりはどちらも経験したことある人にしか比べることは出来まいよ。

私は今後、なにかミラクルが起きない限りどちらも未経験のままだと思うので、言うなれば一番意見する資格はないのだよね。

 

私と逆の考えの人もいるだろうし、ね。

 

まあ、あれだな。

本当は夫が年収1000万円あって、さらによくわかんねえけど乳母がいたら良いのにな、と思うわ。

宝くじ当たらないかなー。